丁寧な暮らしへのあこがれ
丁寧な暮らし。 それはきっと、多くの人があこがれを持つ暮らし方であり、昨今様々な人が様々な「丁寧な暮らし」を公開している。
例にもれず、私もそんな「丁寧な暮らし」にあこがれる内の一人である。
同じ系統でそろえた家具。おしゃれな木製の棚に入った本。日の当たる窓際のカーテン。見晴らしがいい窓からの景色。
毎朝少し早めに起きる。淹れたてのコーヒーとおいしいパンを用意する。きれいなジャズ音楽をかける。お気に入りの服に着替える。観葉植物に水をやる。
日常の風景のどこを切り取っても、整然として落ち着いていて、自分の好きなものであふれているような、そんな暮らし。
いいなあ……
ただ、現実はそうもいかないものである。
見よ、シンクにたまっている洗い物を。
見よ、一週間ポストに入っていた郵便物の山を。
見よ、片づけるのを後回しにしていたネットショッピングの段ボールを。
見渡せば、丁寧な暮らしとは遠い日常。
必死に片づけて、やっときれいになったと思ったら次の日には再び同じ光景。
きっと、丁寧な暮らしとして自身の生活の一部をVlogとして公開しているひとたちも、こういった日常の部分があるのだろう。
それでも、そういった部分を見せないようにうまく編集し、あたかもすべての時間を丁寧に暮らしているかのように動画内では見せているのである。
編集とは恐ろしいものである。丁寧な暮らしとは、あくまで編集によって繋がれた一部の「丁寧に過ごしている時間」の総称である。
しかしながら、編集と分かっていてもなお、丁寧な暮らしに憧れることはやめられないのであった。
あのゆったりとした時間を再現したい。
そう思いながら、今日も洗濯物を放ったままで、ジャズ風音楽をYouTubeで流すのであった。
「ノスタルジア」が好きだ
お気に入りの曲ばかりを詰め込んだプレイリスト。その中に「ノスタルジア」ももちろん入っている。
シャッフル再生してもいつでも自分の好きな曲しか流れないこのプレイリストは、聞き飽きてしまったり新しく気になった曲があったりしてラインナップが日々少しずつ変わっていく。それでも「ノスタルジア」だけは別だ。
アルバム「ジャム」の初回限定版Aを購入し、初めて音を耳にいれ、衝撃を受けたあの時から今でもプレイリストに入っている。一目惚れならぬ〝一聴き惚れ〟ってやつだ。
ジャムが発売されて数年が過ぎたが、その間ずっと飽きずに聴いてきた。今も、前奏がイヤホン越しに聴こえてくると、目を閉じて無意識に耳をすませてしまう。
「ノスタルジア」は、関ジャニ∞のメンバーがまだ七人だった頃に、「年下組」と呼ばれた四人(丸山、安田、錦戸、大倉)が歌った曲だ。甘く切ない歌詞の響きと4人のハーモニーが調和して、なんとも言えない“良さ”が生み出される。
その“良さ”を、私が持つ言葉を総ざらいして、絞って絞ってやっとのことで一言で表すならば、「透明な懐かしさ」だ。どこまでも透き通っていて、何色にも染まらないような雰囲気をもつこの曲は、タイトルの「ノスタルジア」という言葉通り、何故かどこか懐かしい。曲調と歌詞の絶妙なバランスが、ずっと私を惹き付けて離さない。
本当は、曲の全てを分解してひとつひとつ眺めていきたいところだが、そうすると何年かかるか分かったものではないので、今回は曲の中でも一番好きな冒頭部分を見ていこう。
―――
軽快ながらもどこか切ない響きの前奏に続いて、「遠い日の星祭り」と歌う大倉くんの声が入ってくる。
遠い日の星祭り はしゃいで寝転んだ河川敷
出だしの「遠い日の星祭り はしゃいで寝転んだ河川敷」の歌詞そのものも、そしてその歌詞を緩やかに歌う大倉くんも、すべてが良くて言葉にできない。
「夏祭り」ではなくて「星祭り」。なんて素敵な響きだろう。
夏の夜空に浮かぶ満天の星、時折吹く生暖かい風、川の音、遠くから聞こえる祭の喧騒、全てが目に浮かぶようで。
そしてそれらが思い出として「遠い日」になる。
ここの大倉くんの「遠い日の」の歌い方が優しい。
自前の落ち着いた声を生かした優しい伸びやかな歌い方が曲調と相まって、何とも言えない調和を生み出している。
さらにそのあと「星祭り」と徐々に高くなるこの部分がもうたまらない。大倉くんの歌声が心地よくて耳が幸せでいっぱいになる。
そのあとの「はしゃいで 寝転んだ河川敷」でも少し高い音が続いて、少し上を向きながら歌う大倉くんが目の裏に思い浮かぶ。
天球儀を回しては 僕らは空と話していた
「天球儀」という言葉の選び方、「空と話していた」という文章のセンス、その全てにため息がでるほど。
ここでも星いっぱいの夜空が目に浮かんで、瞬いて、滲んで、消える。
丸山くんと大倉くんのハモリは間違いない。甘さと涼やかさを含んだ丸山くんの声が重なって心地よい。
過ぎ去った季節に 消えてった街並み 瞼の裏にある景色
きっと今は故郷から遠いところにいるんだろうな。変哲のない、だけど幸せな日々を過ごしていたあの街を思いだして、目を閉じる。
この「過ぎ去った」と「消えてった」の韻の踏み方が本当に気持ちいい。
少し強めに強弱をつける錦戸くんの歌い方が、過去であることを強調しながらも「瞼の裏にある景色」でその過去をやさしく包み込んでくれる。
好きだって言えずに 静まった軒先 どこからか聞こえた花火
きっと前の歌詞の「僕らは」に含まれるひとなんだろう、好きな人と二人きりで花火を見られる場所に来たけれど、緊張してどちらも話すことができない。
本当は想いを伝える時間のはずが、口に出せないまま時間だけが過ぎて、そんな中花火があがる。
「好きだって言えずに」と「静まった軒先」の部分は複数で歌っているのだけれど、「どこからか聞こえた花火」は錦戸くんだけ歌って余韻を持たせる。
どこか寂しくて、儚い結び。
そしてここで間奏が入り、サビに入る。
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冒頭だけでも素敵な曲が過ぎて、最早言葉にして感想を言うのもおこがましいほどである。
なお、私がこの曲で一番好きな歌詞は、二番の「飲み込んだ涙の味が 甘くなくて良かったなんて」である。
やはりこの歌詞の素晴らしさについても語りたい気がするので、気力があれば続きを書きたい。